戦後直後のある農民 3

私の地方では家の格式によって、あねえさんとか、姉さんとか、姉っ子とか4つぐらいの呼び名がありますが、それは不自然だし民主的でないし、お互い立派な名前をもっている人格者だから名前で呼び合おう、という話になって・・・


席も到着順にしようということが一回目の会合で問題提起され、嫁さんたちの意見で決まる。


誰一人異論なく、みんな賛成だということになりましたが、部落全体としては特に姑さんや幹部顔のみなさんからはー嫁の分際でなまいきにも村の秩序を乱すことを決めた、と攻撃を受けるわけです。


隣に杉宮という140戸ぐらいの大きい部落があります。


国の重要文化財になっている3輪神社で有名な伝統のある部落なんです。


そこではふるいしきたりで、ごぼうを植えちゃならない、かぼちゃを植えてはならない、肉を食べてはならないということがあった。


そこで嫁さんたちが肉を食べられないということは苦痛で、実家に行ってまず肉料理を食べるのが1番の楽しみだという話が出たものですから・・・


肉を食べられないという昔からの迷信の習慣を破るにはどうすればよいか嫁さんたちが知恵を出して合って相談するわけです。


私の地方では秋の収穫期がすぎたころの季節に一年の収穫を慰労する芋の子汁というのがあるんです。

その芋の子汁を嫁さんたちが集まり公民館主催で神社の社務所を借りてやることにした。

戦後直後のある農民 2

無報酬で奔走する活動家を評価しないで田んぼを売ったことばかり問題にされ、選挙では落選する例が多い。


このように、私は30年代で借金の恐ろしさを知るわけです。


公民館の活動の中で私は、嫁の問題と次、三男問題を最初に手がけました。


私の住んでいる部落は120戸あるわけですが、20歳代、30歳代の嫁さんたちが集まって嫁の会をつくりました。


かつて地主が小作人に高利の貸し付米を積んだ倉庫を開放した。


まだ今のようにきれいにならない時期でしたが・・・


2坪の部屋に藁のムシロを敷いた会館に、夜、嫁さんだけが集まるという会は村はじまって以来でした。


公民館が主催しましたが、家の方では公民館主催というその看板に押されて出席させたものです。


25~6人ぐらい集まったんですが、誰言うとなく座る席の順序がどうも村の古いしきたりにかかわりがあるようだ、ということに東京から嫁にきた人が気がついたんです。


また、集まってみたところが半分は名前がわからない。


誰それさんの家の嫁だということはわかるけれども、よし子さんなのか、きよ子さんなのか名前がわからないということに気がついた。

戦後直後のある農民

人が30歳代の一番働きざかりのときに、農家の働き手の主人公が無報酬で社会運動をやるということは私に限らずだれでも辛いことで、家族の負担が伴なうものです。


ところが昭和30年代に借金の恐ろしさに気がついて、私は40年代になってからは農協の理事だとか町会議員だとか酪農組合の理事だとかで報酬をもらう立場になりました。


その報酬が40年代のはじめころからよくなってきます。


それ以前、公職は名誉職的な側面があり報酬は低かった。


私が関係するようになった時期からは公職の報酬は比較的よくなり、お金が入ってくるものですから、自分の家族が働いた米代とか牛乳代に手をつけなくても報酬で活動ができる、という立場になりました。


40年代になって私のような立場の人たちで農村運動家といわれる優れた活動をしている人が沢山いるわけですが、議員などの報酬のない人たちは自分の懐金で走り回るから、その分借金をかかえる。


借金を最近になって気がついたら利息も積りかなりの金額になって、それはどうにもならないということで田んぼを売らされてしまう。


そういう人たちが秋田県内の私たちの仲間に何人かいます。

植物は世界を養う 5

飢えた人々に食糧がうまく行き渡るようにすることについても問題があります。


多くの人が指摘してきたことですが、問題は農業に関してというよりは、収穫物を無駄なくどう分配するかにあるのです。


熱帯の国々では、せっかく収穫しても・大量の損失が起こります。


しかし、たとえこうした分配問題が解決されても、未来の人口増加を支える食糧を用意できないでしょう。


とりわけ困難な問題があって状況が複雑になっています。


増加した人口を住まわせるために新しい都市が必要なのです。


しかもこれらの都市は、良好で耕作に適する土地につくられていることが多いのです。


たとえば、南カリフォルニアのオレンジ郡にすばらしい農場が展開していて、ニ毛作、三毛作または四毛作も可能ですが、いまや超高層ビルやアパートなどを支えるために土地がコンクリートやアスファルトでおおわれつつあります。


エジプトでは、カイロの人口が急増しているので、アスワン・ダムの水を引いて新耕作地を開いても、町が広がることで農地が潰されていくスピードにはとても追いつけない状態です。


発展途上国の多くでは、人口増加が、それぞれの国の食糧供給能力にますます重圧をかけつつあります。


しかし、国によってはその問題がほかの国に比べて小さく見えるところもあります。

植物は世界を養う 4

主要な4つの作物を順にあげると、サトウキビ、コムギ、コメ、トウモロコシです。


すべてイネ科の草本です。


収穫されたサトウキビの大部分は加工するときに失われる水分なので、コムギ、コメ、トウモロコシが、ほんとうの意味で世界を養っている作物です。


1977年に、ちょうど14種類の作物の収穫量は5000万トン以上であり、それらの作物のうち半分はイネ科の草本でした。


全農場の70パーセント以上で穀物が栽培されています。


これらの穀物は、人類の摂取カロリーの半分以上を供給しています。


ただ残念なことは、ほとんどの穀物もまた必須アミノ酸含有量が低いことです。


我々が直面している重大な問題は、現在の世界を養う十分な食糧をいかにして栽培するかではなく、人口が2倍、3倍、4倍になる未来の世界を養う十分な食糧をいかに生産するか、ということなのです。


今のところ、現在の世界を養うものを十分に栽培していますが、作物の約半分は病害や害虫のために失われています。

植物は世界を養う 3

不運にも出生率は指数関数的であり、食糧増加は幾何級数的になりがちです。


出生を安定させることがより大切でしょうが、少なくとも世界規模では、このことは起こらないだろうと予想されます。


このような場合に、どのように食糧生産を最大限まで増加させられるでしょうか。


農業科学者によれば、1ポンドの肉をつくるのに約10ポンドのまぐさが必要だそうです。


言い換えれば10ポンドの干し草が1ポンドの牛肉を支えるのに必要とされるのです。


これが、肉がだんだん高くなっている理由であり、したがって今世紀になって以来、我々の食生活にさほど重要な地位を占めなくなった理由です。


肉よりも、農産物や穀物を用いれば、もっと多くの人々を養うことができるのです。


たとえそうであっても、肉は、現在の農作物のタンパク質に比べると、ある種の必須アミノ酸を多量に含んでいます。


25万種の高等植物のうち、約3000種が食料として使われてきましました。


これらのうち、たった200種が作物化され、食用として栽培されています。


そして、ちょうど30種が重要な食用作物とみなされています。

植物は世界を養う 2

典型的にいえば、生物の数は、食糧か空間の欠如によって制限されるまで、指数関数的に増加することになります。


もし食糧が制限要因であるなら多くの個体が死にます。


空間が限られていると動物は異常な行動をとりますし、植物は小さくてひょろ長いものになります。


個体集団は初めは算術的に増えますが、次に指数関数的に増加しはじめます。


あるところまで増加すると、短いながらも小さな安定状態に達し、出生率と死亡率が等しくなるのです。


最終的には死亡率は出生率を上回りはじめ、個体数が下降状態になります。


このようにして閉鎖系では、自然に個体数が調節されています。


どこから見ても、地球は閉鎖系であり、人口は指数関数的に増加する段階にあります。


我々は生物なので、もし何もしなければ、この閉鎖系の中で生物としての運命に従うことになるでしょう。


解決は簡単なように思えます。


すなわち、出生を安定させ、食糧生産を増加させることです。

植物は世界を養う

世界はどれだけの人口を養うことができるのでしょうか。


20世紀の初めの世界の人口は約10億人でした。


今日、その数は90億人以上に増えています。


2030年までに100~110億になり、なんと現在の2倍以上の人口が存在することになるでしょう。


飢餓こそは、貧困と死の最大原因の1つであることはわかっています。


どのように我々はすべての人々を養うのでしょうか。


そもそも、どのようにして我々は、こんな恐ろしい事態に陥ってしまったのでしょうか。


もっと大事なことは、解決策があるのかということです。


少なくともここ1世紀の間に、科学者が知るようになったことに、閉鎖系で生まれる動物の数は、得られる食糧と空間によって決定されるということがあります。

ドラゴンツリー 3

それぞれの枝先には、剣の形をした葉が集まってついています。


緑色がかった花はややまばらに束につき、明るい榿赤色のサクランボ形の果実がつきます。


その果実は少し苦いが食べられるといわれています。


果実についての古い記述によれば、それぞれの果実に小さな竜が見られるとありますが、これらは空想的な想像の産物にすぎません。


この木は種子から簡単に育てられますが、種子は草食動物に食べられやすいのです。


しかし、ひとたび発芽すると、成木になって開花するまでに約30年はかかります。


カナリー諸島の種は栽培されていて、南カリフォルニアなどの亜熱帯地域の景観植物としてふつうに用いられています。


もともとは、どちらのドラゴンツリーもたくさんありました。


最近では両種の野生集団はだんだん減少してしまいました。


ドラカエナ・ドラコはいまや、カナリー諸島の7島のうち4島では絶滅してしまい、生き残っている3島でも20個体以下になっています。


マディラとグラン・カナリーの2島ではちょうど5本の木が残っているだけです。


ドラカエナ・キンナバリに関する情報はほとんどありません。


わかっているのは、それが自生するソコトラ島が、植物種にとって好ましい状態ではなくなっているということで、島の固有種の3分の4にあたる数が絶滅を危惧される状態にあるということ。


これらの木に近縁な、北東アフリカのヌビアン・ドラゴンツリーもまた、その生存が脅かされています。


昔は、これらの木から採れるドラゴンの血を入り口の側柱に塗りつけて、悪魔から家を守ったといいます。


そんなことを知るにつけ、これらのまたとない木が、自らの血で自分自身を守れないというのは、なんということだろうと思うのです。

ドラゴンツリー 2

カナリー諸島のオロタヴァにあるグレート・ドラゴンツリーがそれで、15世紀から知られていましたが、19世紀にハリケーンが原因で枯れてしまいました。


これは、その当時最も有名な木のひとつであり、およそ樹齢6000年と信じられていました。


地球上の最も古くから生きてきた生物と考えられていただけでなく、聖書に載る大洪水の唯1の生き残りとも信じられていました。


たぶんどう考えても、その木の年齢は6000年にはとても及ばないのですが、確かに、これまでに知られているなかで最も長寿な単子葉植物でした。


直径18フィートの幹には洞ができていて、そこに小さな礼拝堂がつくられ、ミサが行なわれていました。


ドラゴンの血には興味深い利用法がたくさんあったのです。


島の原住民は樹液を用いて死者をミイラにしました。


ヨーロッパ人はそのねばねぼした赤い物質を、淋病の治療からイタリアのバイオリン材を染める上薬にいたるまで、いろいろな用途に使いました。


そのドラゴンツリーは太い幹を持ち、四方に枝分かれしながら伸びており、空に届くかのようでした。