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   <title>手土産にも最適なパウンドケーキ</title>
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   <subtitle>パウンドしちゃう位美味しい。</subtitle>
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   <title>アメリカ企業文明の序幕　2</title>
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   <published>2012-02-02T08:50:06Z</published>
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   <summary>同じ国民同士が血で血に報いるこの戦争は、何で起こったのでしょうか。 当時国民はも...</summary>
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      同じ国民同士が血で血に報いるこの戦争は、何で起こったのでしょうか。


当時国民はもちろん、リンカーン大統領をも含めて、アメリカの歴史のなかにおいて、その真の意義を知っているものはいなかったのです。


後年の歴史家ビアード夫妻はその名著といわれる『アメリカ文明の興隆』(全4巻、1924-42年)のなかで、南北戦争を、「第二のアメリカ独立革命」と呼んでいます。


南北戦争が起こるまでの50年にも満たない間に、わたしたちがすでに知っているように、新興国アメリカは、早くも資本主義発展の基盤であるインフラストラクチャーの建設をほぼ完了していました。


農業、商業、輸送の革新をほとんど同時的に遂行したばかりでなく、産業革命の段階にまで進んでいました。


「アメリカ的製造方式」は、来たるべきアメリカ産業発展のために、その路線を敷き終わっていました。


しかし、他方では奴隷労働を基盤として「キング.コットン」はなお繁栄の絶頂期にありました。


現状を維持しようとする勢力と、革新を求める勢力とは、どちらも統一を求めて、不可避的に戦端を開いたのです。


その結果、南北戦争期の人口の4倍となった、第二次大戦期におけるアメリカが出した戦死者の数を上回る戦争犠牲者を出すことになりました。


      
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   <title>アメリカ企業文明の序幕</title>
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   <published>2012-01-13T08:49:30Z</published>
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      1814年イギリスとの戦争が終わるや、どっと流れこんできたのがイギリスの製品でした。


これは、ようやくテイクオフしかけたアメリカ産業にとっては大打撃でした。


最も大きな打撃を受けたのは、ニューイングランドの繊維業でしたが、これを契機にたちどころに保護主義の波が繊維からほかの産業へと全国に拡がっていきました。


こういった機運のなかで1816年に関税法が制定され、輸入品に対する関税障壁が高められました。


その後1824年、1828年、1832～33年、1842年、1857年と、同法の改正のたびにその障壁が引き上げられていきました。


・・・このような産業保護主義的政策は世紀を超えて、1930年代の大恐慌において最高潮に達したことは周知のとおりです。


ここで歴史ドラマ、アメリカ企業文明の序幕の幕が下りるのです。


鉄砲の音や戦いの関の声などがきこえるなかで、舞台は暗転しはじめます。


南北戦争がはじまったのです。


      
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   <title>産業発展に対する役割</title>
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   <published>2011-12-30T08:48:55Z</published>
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   <summary>イーライ・ホイットニーが綿繰り機を発明したのが1793年でしたが、機械が簡単だっ...</summary>
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      イーライ・ホイットニーが綿繰り機を発明したのが1793年でしたが、機械が簡単だったため、たちどころに模倣品がおびただしく出回りました。


そこで彼は直接トマス・ジェファソン国務長官に特許を申請し、翌年ワシントン大統領がこれを承認しています。


しかし、ニューヘイブンの彼の工場が火事になる不幸も手伝って、「にせもの」が多数現れ、彼は長い間法廷闘争のため多くの精力と時間と資金を費やすことになりました。


特許法施行の初期にはこうした悲劇も避けられなかったようですが、1850年代には許可件数は年々2500件を超すようになりました。


たとえば、ミシンをめぐってもエライアス・ハウが1846年に特許を取得しましたが、1850年代はじめにはアイザック・シンガーなどがつぎつぎと改良品で申請し、ミシン産業が急速に成長する契機をつくりました。


このほかそのころの発明で有名となったものにチャールズ・グッドイヤーのゴム製法、ゲイル・ボーデンの濃縮牛乳用の製缶法などがあります。


その後もベル、エディソン、ウェスティングハウスなど数々の発明が続き、発明王国アメリカの名をあげる結果となりました。


産業発展に対するさらにもっと重要な政府の役割は、保護主義的関税政策において最もよく現れています。



      
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   <title>無駄吠え防止グッズは便利！　2</title>
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   <published>2011-11-02T04:07:59Z</published>
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   <summary>体質や環境(馴れ)の程度をよく観察し、特に肥満の犬にはゆるやかに訓練を進めてくだ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://parkplaceinc.net/">
      <![CDATA[体質や環境(馴れ)の程度をよく観察し、特に肥満の犬にはゆるやかに訓練を進めてください。


さて、叱るとおじけつく犬の訓練法はどういったものでしょうか。


「しつけの訓練を始めましたが、叱るとおじけついてしまうので、かわいそうに思い、なかなか気合が入りません。」


・・・このような人がいますが・・・


この人は自分の犬をよく理解していないようですね。


訓練を始める前に、犬の性格を知ることが大事なのです。


犬は感受性・大胆性・知性・服従性が複合されてひとつの性格が形成されます。


感受性がやわらかい(軟性)の犬は、刺激に負けやすく、一度強制されると長く嫌悪感を持ち続け、なかなか気分転喚できないものです。


一方、これに反して感受性がかたく、強い性質(硬性)の犬は、肉体的・精神的に強制されても、気分転換が上手ですが、強情でガンコな犬が多いものです。


あなたの犬はシャイで軟性タイプですから、無理な訓練をしないこと。


こうした犬にはゆっくりゆっくり、ほめながら根気強く続けることです。


決してやり過ぎないこと。


<a href="http://kongo.ocnk.net/" target="_blank">無駄吠え防止</a>などのグッズを利用するのもいいでしょう。


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   <title>無駄吠え防止グッズは便利！</title>
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   <published>2011-10-15T04:06:41Z</published>
   <updated>2011-10-15T16:35:12Z</updated>
   
   <summary>犬のしつけの基本は「叱る」ことと「ほめる」ことです。 この両者のバランスがうまく...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://parkplaceinc.net/">
      <![CDATA[犬のしつけの基本は「叱る」ことと「ほめる」ことです。


この両者のバランスがうまくとれているかどうかで「明るい犬」にも「暗い犬」にもなります。


「イケナイ」と叱る時は顔と動作で厳しく叱ります。


「ヨシヨシ」とほめる時は、からだ全体で明るく喜びをこめて表現してください。


さて、肥満気味の犬の訓練はふつうの犬より時間を多めにした方がいいですか？と聞かれるのですが・・・


肥り過ぎだからといって運動量を増やすよりも、まず肥満の原因をつきとめてください。


獣医師に相談し、日常の管理のアドバイスを受けましょう。


犬にも肥った犬、やせた犬と体質は千差万別ですが、特に発育途上の犬には訓練をやり過ぎないことです。


やり過ぎると気力・体力がついていかず、訓練がいやになるからです。


こうした犬には、<a href="http://kongo.ocnk.net/" target="_blank">無駄吠え防止</a>などのグッズが効くこともあります。

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   <title>墓地についての基礎知識　2</title>
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   <published>2011-09-12T01:25:56Z</published>
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   <summary>こんにちは。 今日は前回からの続きで、墓地の使用規定についての説明です。 第十二...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://parkplaceinc.net/">
      <![CDATA[こんにちは。


今日は前回からの続きで、墓地の使用規定についての説明です。


第十二条（墓地使用権の承継・譲渡）


墓地使用権は、相続により継承することができる。


また管理者の承諾があれば、墓地使用権を譲渡することができる。


では次に、管理規定施行細則。


第一条（墓地使用権承継許可申請）


規定第十二条にもとづき、墓地使用権を承継しようとするときは、墓地使用権承継許可申請書に戸籍謄本ならびに使用証を添付して、管理者の許可を得なければならない。


第二条（墓地使用権譲渡許可申請）


規定第十二条にもとづき、墓地使用権を譲渡しようとするときは、墓地使用権譲渡許可申請書に戸籍謄本ならびに使用証を添付し、親族二人以上の保証人をつけて、墓地管理者の許可を得たのち、使用証の書き換えを受けなければならない。


第三条（納骨等の届出）


（1）墓地の使用者が納骨を行なおうとするときは、納骨届に死体埋葬許可証(火葬執行済証明書)を添付して、一週間前に管理者に届け出なければならない。


（2）墓地の使用者が改葬を行なおうとするときは、改葬届に改葬許可証を添付して、一週間前に管理者に届け出なければならない。


家に<a href="http://www.soka-butudan.jp/" target="_blank">創価学会　仏壇</a>があるという方なら、このような話はきっとご存知でしょう。


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   <title>墓地についての基礎知識</title>
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   <published>2011-08-03T01:23:43Z</published>
   <updated>2011-08-03T16:35:08Z</updated>
   
   <summary>こんにちは。 今日は、創価学会　仏壇と墓地についての話をしたいと思います。 まず...</summary>
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      <![CDATA[こんにちは。


今日は、<a href="http://www.soka-butudan.jp/" target="_blank">創価学会　仏壇</a>と墓地についての話をしたいと思います。


まずは、墓地の使用規定について説明しましょう。


・・・墓地の使用においては、以下のように定められています。


墓地使用者は、使用墓地内の墓石その他工作物、植木等の転倒、その他の危険または他人に迷惑をおよぼすおそれのある場合は、その他適宜の措置をしなければならない。


前項の場合、霊園が墓地使用者に連絡するいとまなく、かつ緊急を要するときは、管理者は墓地使用者にかわって適当な措置をとることができる。


また、これに要する実費は、墓地使用者が負担するものとする。


霊園内の参道、公園または各施設等の整備清掃は霊園の責任とし、墓石の維持管理は使用者において行なうものとする。


第十条〈墓地内工事の届出〉


墓地使用者が、墓地内において墓石その他の工作物を建造し、改修し、撤去し、移転し、または植樹し、もしくは現状を著しく変更しようとするときは、あらかじめ管理者の許可を得なければならない。


第十一条〈墓地使用の取消し〉


管理者は、次の各項の一つに該当したときは、墓地使用の許可を取り消すことができる。


（1）墓地使用を許可した日から三年を経過しても墓石を建立しないとき。


（2）墓地使用者が七年以上所在不明にして、相続または継承の申し出がないとき。


（3）管理者の承認を受けずに墓地使用の権利を他人に譲渡したとき。


（4）墓地を本来の目的以外に使用していると認めたとき。


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   <title>専門馬鹿にならないように</title>
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   <published>2011-07-15T09:15:07Z</published>
   <updated>2011-07-22T02:41:01Z</updated>
   
   <summary>こればかりは、イギリス英語でもありリズムが違い、しかもコンパクトに英語が内容と共...</summary>
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      <![CDATA[こればかりは、イギリス英語でもありリズムが違い、しかもコンパクトに英語が内容と共に構築されているので、速読しにくい。

しかし、いまも<a href="http://store.shopping.yahoo.co.jp/mikawatk/a1d4mbma1d.html" target="_blank">時計　ジェイコブ</a>に挑戦している。

だが、私は、誰にもこの読書法を勧めようとは思わない。

私のような、情報を武器にして生きている人間は、あらゆる情報に接していなくてはならないという危機意識から、そういう場を借りて自分に鞭を打たねばならない。

専門分野の記事しか読まないようでは、問題意識は活性化されず、専門バカになってしまう。

もし、英語アレルギーを治す意欲を失いそうになったら、日本語で速読に挑戦してみてはどうだろうか。

ただ、集中力を鍛えるには、英語を通してトライするに限る。

人間誰しも、生来のなまけぐせに災いされ、ややもすると、イージーな道に進みがちである。

私も、意志は決して強くないと思っている。

だからこそ、自己管理が必要なのだ。
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   <title>特許権保護の思想</title>
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   <published>2011-06-30T07:48:02Z</published>
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   <summary>イギリスの水晶宮博覧会で出品した、ライフルで注目されたロビンス&amp;ローレンス社は、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://parkplaceinc.net/">
      イギリスの水晶宮博覧会で出品した、ライフルで注目されたロビンス&amp;ローレンス社は、バーモント州のウィンザーで工作機械技術開発の中核的存在でした。


この会社の創設者の一人N・ケンダルは、ホイットニー工場の出身者でした。


ちなみに日本技術史研究家の小林達也はこのウィンザーが「アメリカ的製造方式」の普及のセンターとして果たした役割を高く評価しています。


このウィンザーも、コネチカット川によってスプリングフィールドに通じていることは注目されるでしょう。


(現在はコネチカット州ニューヘイブンから北上して、カナダ国境まで州際高速道路91号線が川沿いに走っています)。


またアメリカでは憲法(1787年)に


「科学と有用な技術を振興するために、ある一定の期間を限って著者や発明者に、それぞれの著作物および発見に対して独占権を確保する」(第一条)


・・・と明記しているように、早くから特許権保護の思想があります。


特許局が設立されたのも1790年です。


しかし、その初期の20年間に登録された特許は、77件にすぎなかったのです。


      
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   <title>戦後直後のある農民　4</title>
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   <published>2011-05-27T03:10:15Z</published>
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      芋の子汁のダシに鶏の肉を使ってやろうというわけです。


そしてその席に村の婦人会長とか部落会長を招待する。


最初のうちは、これは肉が入ってるぞということを知らせていませんから、おいしい、おいしいと食べています。


あとでこのおいしい芋の子汁は、鶏の肉が入っているということを伝えたわけです。


そんなことで嫁さんたち自身で起.」した運動におもしろみを感じるようになり、次々と古い習慣をこわす行動を続けていきました。


旧勢力からの圧迫が加わるということの恐ろしさを知らないということもあったでしょうが、公民館という看板が旧勢力からの攻撃を守るための役割を果たしました。


私は昭和30年代の村の公民館における嫁の解放運動は、女の自覚というものを呼びかけるものであったし、新しい時代の母親を鍛える場所でもあったと思っております。


20歳代、30歳代の農家の若い嫁さんたち・・・


今までは家庭の中の古い古いしきたりで発言力も何も認められてなかった人たちでしたが、昭和30年代に公民館を根拠地にしていい仕事をたくさんやるわけです。


例えばそのころ、村に水道なんてなかったんです。


      
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   <title>戦後直後のある農民　3</title>
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      私の地方では家の格式によって、あねえさんとか、姉さんとか、姉っ子とか4つぐらいの呼び名がありますが、それは不自然だし民主的でないし、お互い立派な名前をもっている人格者だから名前で呼び合おう、という話になって・・・


席も到着順にしようということが一回目の会合で問題提起され、嫁さんたちの意見で決まる。


誰一人異論なく、みんな賛成だということになりましたが、部落全体としては特に姑さんや幹部顔のみなさんからはー嫁の分際でなまいきにも村の秩序を乱すことを決めた、と攻撃を受けるわけです。


隣に杉宮という140戸ぐらいの大きい部落があります。


国の重要文化財になっている3輪神社で有名な伝統のある部落なんです。


そこではふるいしきたりで、ごぼうを植えちゃならない、かぼちゃを植えてはならない、肉を食べてはならないということがあった。


そこで嫁さんたちが肉を食べられないということは苦痛で、実家に行ってまず肉料理を食べるのが1番の楽しみだという話が出たものですから・・・


肉を食べられないという昔からの迷信の習慣を破るにはどうすればよいか嫁さんたちが知恵を出して合って相談するわけです。


私の地方では秋の収穫期がすぎたころの季節に一年の収穫を慰労する芋の子汁というのがあるんです。



その芋の子汁を嫁さんたちが集まり公民館主催で神社の社務所を借りてやることにした。


      
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   <title>戦後直後のある農民　2</title>
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      無報酬で奔走する活動家を評価しないで田んぼを売ったことばかり問題にされ、選挙では落選する例が多い。


このように、私は30年代で借金の恐ろしさを知るわけです。


公民館の活動の中で私は、嫁の問題と次、三男問題を最初に手がけました。


私の住んでいる部落は120戸あるわけですが、20歳代、30歳代の嫁さんたちが集まって嫁の会をつくりました。


かつて地主が小作人に高利の貸し付米を積んだ倉庫を開放した。


まだ今のようにきれいにならない時期でしたが・・・


2坪の部屋に藁のムシロを敷いた会館に、夜、嫁さんだけが集まるという会は村はじまって以来でした。


公民館が主催しましたが、家の方では公民館主催というその看板に押されて出席させたものです。


25～6人ぐらい集まったんですが、誰言うとなく座る席の順序がどうも村の古いしきたりにかかわりがあるようだ、ということに東京から嫁にきた人が気がついたんです。


また、集まってみたところが半分は名前がわからない。


誰それさんの家の嫁だということはわかるけれども、よし子さんなのか、きよ子さんなのか名前がわからないということに気がついた。


      
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   <title>戦後直後のある農民</title>
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      人が30歳代の一番働きざかりのときに、農家の働き手の主人公が無報酬で社会運動をやるということは私に限らずだれでも辛いことで、家族の負担が伴なうものです。


ところが昭和30年代に借金の恐ろしさに気がついて、私は40年代になってからは農協の理事だとか町会議員だとか酪農組合の理事だとかで報酬をもらう立場になりました。


その報酬が40年代のはじめころからよくなってきます。


それ以前、公職は名誉職的な側面があり報酬は低かった。


私が関係するようになった時期からは公職の報酬は比較的よくなり、お金が入ってくるものですから、自分の家族が働いた米代とか牛乳代に手をつけなくても報酬で活動ができる、という立場になりました。


40年代になって私のような立場の人たちで農村運動家といわれる優れた活動をしている人が沢山いるわけですが、議員などの報酬のない人たちは自分の懐金で走り回るから、その分借金をかかえる。


借金を最近になって気がついたら利息も積りかなりの金額になって、それはどうにもならないということで田んぼを売らされてしまう。


そういう人たちが秋田県内の私たちの仲間に何人かいます。


      
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   <title>植物は世界を養う　5</title>
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   <summary>飢えた人々に食糧がうまく行き渡るようにすることについても問題があります。 多くの...</summary>
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      飢えた人々に食糧がうまく行き渡るようにすることについても問題があります。


多くの人が指摘してきたことですが、問題は農業に関してというよりは、収穫物を無駄なくどう分配するかにあるのです。


熱帯の国々では、せっかく収穫しても・大量の損失が起こります。


しかし、たとえこうした分配問題が解決されても、未来の人口増加を支える食糧を用意できないでしょう。


とりわけ困難な問題があって状況が複雑になっています。


増加した人口を住まわせるために新しい都市が必要なのです。


しかもこれらの都市は、良好で耕作に適する土地につくられていることが多いのです。


たとえば、南カリフォルニアのオレンジ郡にすばらしい農場が展開していて、ニ毛作、三毛作または四毛作も可能ですが、いまや超高層ビルやアパートなどを支えるために土地がコンクリートやアスファルトでおおわれつつあります。


エジプトでは、カイロの人口が急増しているので、アスワン・ダムの水を引いて新耕作地を開いても、町が広がることで農地が潰されていくスピードにはとても追いつけない状態です。


発展途上国の多くでは、人口増加が、それぞれの国の食糧供給能力にますます重圧をかけつつあります。


しかし、国によってはその問題がほかの国に比べて小さく見えるところもあります。


      
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   <title>植物は世界を養う　4</title>
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   <published>2011-01-09T05:27:04Z</published>
   <updated>2011-06-21T01:30:10Z</updated>
   
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      主要な4つの作物を順にあげると、サトウキビ、コムギ、コメ、トウモロコシです。


すべてイネ科の草本です。


収穫されたサトウキビの大部分は加工するときに失われる水分なので、コムギ、コメ、トウモロコシが、ほんとうの意味で世界を養っている作物です。


1977年に、ちょうど14種類の作物の収穫量は5000万トン以上であり、それらの作物のうち半分はイネ科の草本でした。


全農場の70パーセント以上で穀物が栽培されています。


これらの穀物は、人類の摂取カロリーの半分以上を供給しています。


ただ残念なことは、ほとんどの穀物もまた必須アミノ酸含有量が低いことです。


我々が直面している重大な問題は、現在の世界を養う十分な食糧をいかにして栽培するかではなく、人口が2倍、3倍、4倍になる未来の世界を養う十分な食糧をいかに生産するか、ということなのです。


今のところ、現在の世界を養うものを十分に栽培していますが、作物の約半分は病害や害虫のために失われています。


      
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