産業発展に対する役割
イーライ・ホイットニーが綿繰り機を発明したのが1793年でしたが、機械が簡単だったため、たちどころに模倣品がおびただしく出回りました。
そこで彼は直接トマス・ジェファソン国務長官に特許を申請し、翌年ワシントン大統領がこれを承認しています。
しかし、ニューヘイブンの彼の工場が火事になる不幸も手伝って、「にせもの」が多数現れ、彼は長い間法廷闘争のため多くの精力と時間と資金を費やすことになりました。
特許法施行の初期にはこうした悲劇も避けられなかったようですが、1850年代には許可件数は年々2500件を超すようになりました。
たとえば、ミシンをめぐってもエライアス・ハウが1846年に特許を取得しましたが、1850年代はじめにはアイザック・シンガーなどがつぎつぎと改良品で申請し、ミシン産業が急速に成長する契機をつくりました。
このほかそのころの発明で有名となったものにチャールズ・グッドイヤーのゴム製法、ゲイル・ボーデンの濃縮牛乳用の製缶法などがあります。
その後もベル、エディソン、ウェスティングハウスなど数々の発明が続き、発明王国アメリカの名をあげる結果となりました。
産業発展に対するさらにもっと重要な政府の役割は、保護主義的関税政策において最もよく現れています。