アメリカ企業文明の序幕

1814年イギリスとの戦争が終わるや、どっと流れこんできたのがイギリスの製品でした。


これは、ようやくテイクオフしかけたアメリカ産業にとっては大打撃でした。


最も大きな打撃を受けたのは、ニューイングランドの繊維業でしたが、これを契機にたちどころに保護主義の波が繊維からほかの産業へと全国に拡がっていきました。


こういった機運のなかで1816年に関税法が制定され、輸入品に対する関税障壁が高められました。


その後1824年、1828年、1832~33年、1842年、1857年と、同法の改正のたびにその障壁が引き上げられていきました。


・・・このような産業保護主義的政策は世紀を超えて、1930年代の大恐慌において最高潮に達したことは周知のとおりです。


ここで歴史ドラマ、アメリカ企業文明の序幕の幕が下りるのです。


鉄砲の音や戦いの関の声などがきこえるなかで、舞台は暗転しはじめます。


南北戦争がはじまったのです。

産業発展に対する役割

イーライ・ホイットニーが綿繰り機を発明したのが1793年でしたが、機械が簡単だったため、たちどころに模倣品がおびただしく出回りました。


そこで彼は直接トマス・ジェファソン国務長官に特許を申請し、翌年ワシントン大統領がこれを承認しています。


しかし、ニューヘイブンの彼の工場が火事になる不幸も手伝って、「にせもの」が多数現れ、彼は長い間法廷闘争のため多くの精力と時間と資金を費やすことになりました。


特許法施行の初期にはこうした悲劇も避けられなかったようですが、1850年代には許可件数は年々2500件を超すようになりました。


たとえば、ミシンをめぐってもエライアス・ハウが1846年に特許を取得しましたが、1850年代はじめにはアイザック・シンガーなどがつぎつぎと改良品で申請し、ミシン産業が急速に成長する契機をつくりました。


このほかそのころの発明で有名となったものにチャールズ・グッドイヤーのゴム製法、ゲイル・ボーデンの濃縮牛乳用の製缶法などがあります。


その後もベル、エディソン、ウェスティングハウスなど数々の発明が続き、発明王国アメリカの名をあげる結果となりました。


産業発展に対するさらにもっと重要な政府の役割は、保護主義的関税政策において最もよく現れています。


無駄吠え防止グッズは便利! 2

体質や環境(馴れ)の程度をよく観察し、特に肥満の犬にはゆるやかに訓練を進めてください。


さて、叱るとおじけつく犬の訓練法はどういったものでしょうか。


「しつけの訓練を始めましたが、叱るとおじけついてしまうので、かわいそうに思い、なかなか気合が入りません。」


・・・このような人がいますが・・・


この人は自分の犬をよく理解していないようですね。


訓練を始める前に、犬の性格を知ることが大事なのです。


犬は感受性・大胆性・知性・服従性が複合されてひとつの性格が形成されます。


感受性がやわらかい(軟性)の犬は、刺激に負けやすく、一度強制されると長く嫌悪感を持ち続け、なかなか気分転喚できないものです。


一方、これに反して感受性がかたく、強い性質(硬性)の犬は、肉体的・精神的に強制されても、気分転換が上手ですが、強情でガンコな犬が多いものです。


あなたの犬はシャイで軟性タイプですから、無理な訓練をしないこと。


こうした犬にはゆっくりゆっくり、ほめながら根気強く続けることです。


決してやり過ぎないこと。


無駄吠え防止などのグッズを利用するのもいいでしょう。


無駄吠え防止グッズは便利!

犬のしつけの基本は「叱る」ことと「ほめる」ことです。


この両者のバランスがうまくとれているかどうかで「明るい犬」にも「暗い犬」にもなります。


「イケナイ」と叱る時は顔と動作で厳しく叱ります。


「ヨシヨシ」とほめる時は、からだ全体で明るく喜びをこめて表現してください。


さて、肥満気味の犬の訓練はふつうの犬より時間を多めにした方がいいですか?と聞かれるのですが・・・


肥り過ぎだからといって運動量を増やすよりも、まず肥満の原因をつきとめてください。


獣医師に相談し、日常の管理のアドバイスを受けましょう。


犬にも肥った犬、やせた犬と体質は千差万別ですが、特に発育途上の犬には訓練をやり過ぎないことです。


やり過ぎると気力・体力がついていかず、訓練がいやになるからです。


こうした犬には、無駄吠え防止などのグッズが効くこともあります。

墓地についての基礎知識 2

こんにちは。


今日は前回からの続きで、墓地の使用規定についての説明です。


第十二条(墓地使用権の承継・譲渡)


墓地使用権は、相続により継承することができる。


また管理者の承諾があれば、墓地使用権を譲渡することができる。


では次に、管理規定施行細則。


第一条(墓地使用権承継許可申請)


規定第十二条にもとづき、墓地使用権を承継しようとするときは、墓地使用権承継許可申請書に戸籍謄本ならびに使用証を添付して、管理者の許可を得なければならない。


第二条(墓地使用権譲渡許可申請)


規定第十二条にもとづき、墓地使用権を譲渡しようとするときは、墓地使用権譲渡許可申請書に戸籍謄本ならびに使用証を添付し、親族二人以上の保証人をつけて、墓地管理者の許可を得たのち、使用証の書き換えを受けなければならない。


第三条(納骨等の届出)


(1)墓地の使用者が納骨を行なおうとするときは、納骨届に死体埋葬許可証(火葬執行済証明書)を添付して、一週間前に管理者に届け出なければならない。


(2)墓地の使用者が改葬を行なおうとするときは、改葬届に改葬許可証を添付して、一週間前に管理者に届け出なければならない。


家に創価学会 仏壇があるという方なら、このような話はきっとご存知でしょう。


墓地についての基礎知識

こんにちは。


今日は、創価学会 仏壇と墓地についての話をしたいと思います。


まずは、墓地の使用規定について説明しましょう。


・・・墓地の使用においては、以下のように定められています。


墓地使用者は、使用墓地内の墓石その他工作物、植木等の転倒、その他の危険または他人に迷惑をおよぼすおそれのある場合は、その他適宜の措置をしなければならない。


前項の場合、霊園が墓地使用者に連絡するいとまなく、かつ緊急を要するときは、管理者は墓地使用者にかわって適当な措置をとることができる。


また、これに要する実費は、墓地使用者が負担するものとする。


霊園内の参道、公園または各施設等の整備清掃は霊園の責任とし、墓石の維持管理は使用者において行なうものとする。


第十条〈墓地内工事の届出〉


墓地使用者が、墓地内において墓石その他の工作物を建造し、改修し、撤去し、移転し、または植樹し、もしくは現状を著しく変更しようとするときは、あらかじめ管理者の許可を得なければならない。


第十一条〈墓地使用の取消し〉


管理者は、次の各項の一つに該当したときは、墓地使用の許可を取り消すことができる。


(1)墓地使用を許可した日から三年を経過しても墓石を建立しないとき。


(2)墓地使用者が七年以上所在不明にして、相続または継承の申し出がないとき。


(3)管理者の承認を受けずに墓地使用の権利を他人に譲渡したとき。


(4)墓地を本来の目的以外に使用していると認めたとき。


専門馬鹿にならないように

こればかりは、イギリス英語でもありリズムが違い、しかもコンパクトに英語が内容と共に構築されているので、速読しにくい。

しかし、いまも時計 ジェイコブに挑戦している。

だが、私は、誰にもこの読書法を勧めようとは思わない。

私のような、情報を武器にして生きている人間は、あらゆる情報に接していなくてはならないという危機意識から、そういう場を借りて自分に鞭を打たねばならない。

専門分野の記事しか読まないようでは、問題意識は活性化されず、専門バカになってしまう。

もし、英語アレルギーを治す意欲を失いそうになったら、日本語で速読に挑戦してみてはどうだろうか。

ただ、集中力を鍛えるには、英語を通してトライするに限る。

人間誰しも、生来のなまけぐせに災いされ、ややもすると、イージーな道に進みがちである。

私も、意志は決して強くないと思っている。

だからこそ、自己管理が必要なのだ。

特許権保護の思想

イギリスの水晶宮博覧会で出品した、ライフルで注目されたロビンス&ローレンス社は、バーモント州のウィンザーで工作機械技術開発の中核的存在でした。


この会社の創設者の一人N・ケンダルは、ホイットニー工場の出身者でした。


ちなみに日本技術史研究家の小林達也はこのウィンザーが「アメリカ的製造方式」の普及のセンターとして果たした役割を高く評価しています。


このウィンザーも、コネチカット川によってスプリングフィールドに通じていることは注目されるでしょう。


(現在はコネチカット州ニューヘイブンから北上して、カナダ国境まで州際高速道路91号線が川沿いに走っています)。


またアメリカでは憲法(1787年)に


「科学と有用な技術を振興するために、ある一定の期間を限って著者や発明者に、それぞれの著作物および発見に対して独占権を確保する」(第一条)


・・・と明記しているように、早くから特許権保護の思想があります。


特許局が設立されたのも1790年です。


しかし、その初期の20年間に登録された特許は、77件にすぎなかったのです。

戦後直後のある農民 4

芋の子汁のダシに鶏の肉を使ってやろうというわけです。


そしてその席に村の婦人会長とか部落会長を招待する。


最初のうちは、これは肉が入ってるぞということを知らせていませんから、おいしい、おいしいと食べています。


あとでこのおいしい芋の子汁は、鶏の肉が入っているということを伝えたわけです。


そんなことで嫁さんたち自身で起.」した運動におもしろみを感じるようになり、次々と古い習慣をこわす行動を続けていきました。


旧勢力からの圧迫が加わるということの恐ろしさを知らないということもあったでしょうが、公民館という看板が旧勢力からの攻撃を守るための役割を果たしました。


私は昭和30年代の村の公民館における嫁の解放運動は、女の自覚というものを呼びかけるものであったし、新しい時代の母親を鍛える場所でもあったと思っております。


20歳代、30歳代の農家の若い嫁さんたち・・・


今までは家庭の中の古い古いしきたりで発言力も何も認められてなかった人たちでしたが、昭和30年代に公民館を根拠地にしていい仕事をたくさんやるわけです。


例えばそのころ、村に水道なんてなかったんです。

戦後直後のある農民 3

私の地方では家の格式によって、あねえさんとか、姉さんとか、姉っ子とか4つぐらいの呼び名がありますが、それは不自然だし民主的でないし、お互い立派な名前をもっている人格者だから名前で呼び合おう、という話になって・・・


席も到着順にしようということが一回目の会合で問題提起され、嫁さんたちの意見で決まる。


誰一人異論なく、みんな賛成だということになりましたが、部落全体としては特に姑さんや幹部顔のみなさんからはー嫁の分際でなまいきにも村の秩序を乱すことを決めた、と攻撃を受けるわけです。


隣に杉宮という140戸ぐらいの大きい部落があります。


国の重要文化財になっている3輪神社で有名な伝統のある部落なんです。


そこではふるいしきたりで、ごぼうを植えちゃならない、かぼちゃを植えてはならない、肉を食べてはならないということがあった。


そこで嫁さんたちが肉を食べられないということは苦痛で、実家に行ってまず肉料理を食べるのが1番の楽しみだという話が出たものですから・・・


肉を食べられないという昔からの迷信の習慣を破るにはどうすればよいか嫁さんたちが知恵を出して合って相談するわけです。


私の地方では秋の収穫期がすぎたころの季節に一年の収穫を慰労する芋の子汁というのがあるんです。

その芋の子汁を嫁さんたちが集まり公民館主催で神社の社務所を借りてやることにした。